ランツフートとフリードリヒ大王

 

フリードリヒ大王の先祖はヴィッテルスバッハのランツフート系です。バイエルン-ランツフートのフリードリヒ公 (1339-1393)には娘の「美しいエル ザ」(1383-1442)とハインリヒ(1393-1450)の二人の子供がいました。弟のハインリヒ十四世についてはランツフートの絶頂期および市民の反乱の項で 述べますが、姉のエリーザベトはニュールンベルクのフリードリヒI世に嫁ぎ、ここからプロイセンのホーエンツォルレン家が開かれます。したがってフリード リヒ大王の先祖はヴィッテルスバッハのランツフート系なのです。これが実際に役に立つときがありました。それはバイエルンがオーストリア領になりそうに なった時のことです。もしフリードリヒがその取引に反対しなければ今頃バイエルンはオーストリア領になっていたはずですが、彼のお陰で食い止められました。その際に彼がヴィッテルスバッハの末裔だ、という意識が働いたでしょうし、またそれが介入の口実になったことは想像に難くありません。                                                  (ホームに戻る)