スエーデン軍によるトラウスニッツ城への砲撃

 

三十年戦争とスエーデンの略奪

三十年戦争(1618-1648)では1623年まず市の防衛軍が強力なスエーデン軍にあっけなく破られ、お城の方もスエーデン軍に現在スエーデン門と呼 ばれている門から攻め入れられて、現在スエーデンヴィーゼと呼ばれている広場での戦闘のあと占領されました。以降16年間筆舌に尽くし難い悲惨を味わいまし た。1631年カトリック軍がマグデブルクを殲滅した報復としてランツフートが焼き討ちに遭いそうになり、市長たちが土下座をしてようやく勘弁してもらいました。略奪はゼーリゲンタール修道院にある歴代のヴィッテルスバッハ家のお墓にも及び、財宝が埋葬されているのではないか、とお墓を暴き、中の骨を床に 撒き散らしました。鉄格子などは武器に使うため持って行きましたが、これはあとで戻ってきます。スエーデン軍の略奪はバイエルンの森の奥の村々にまでおよ び、旧バイエルンの5000の村のうち900の村が破壊されました。スエーデン軍が強かったのは火器が強力だったほかにドラッグの薬草を使って恐怖心を取り除いていたから だ、とあるスエーデン人から聞きました。                                                (ホームに戻る)