ヴィッテルスバッハ家はなぜ大きくなったか

 

皇帝バルバロッサが1180年ヴィッテルスバッハ家のプファルツ伯オットー五世(公爵としてはオットー一世)に公爵領バイエルンを与えたときには、この家 系がアンデックス伯やオルテンブルク伯あるいはボーゲン伯に比べて一番強力だったわけではありませんでした。ヴィッテルスバッハ家が大きくなったのはオッ トー一世の息子ケールハイムのルートヴィヒ(1183-1231)とその息子オットー二世(1231-1253)の徹底した領土拡大策によるものです。伯 爵領、代官領、地方貴族領の購入、結婚、相続人のいない封土の召し上げ、それに闘いです。彼らは目的をもって闘いを挑み、それもあらゆる手段を用いて行い ました。「それは生きるか死ぬかの闘いであった。バイエルンに武器の響きと力の争いが木霊した。罪と贖罪が山積みとなり、シェクスピア劇のような野蛮と悲 劇の場面が急激な変転の中で浮き立って見えた」(シュピンドラー)。資産のある伯爵家はつぎつぎを姿を消し、ヴィッテルスバッハ家の最初の代だけで30以上の家系が消滅しました。その上にルートヴィヒは最も強敵だったボーゲン伯の未亡人と結婚し ました。これによってボヘミアにまで及ぶ広大なボーゲン領が手に入りました。現在のバイエルンの白と青のひし形のマークは実はボーゲン伯の家紋です。この 後も力と結婚による拡大戦略は続けられ、1300年から後は大きな家系はすべて姿を消し、ヴィッテルスバッハ家の前に立ちはだかる者はいなくなったのでし た。

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